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七十二候(しちじゅうにこう、二十四節気を更に3つに分けたもの)の土潤溽暑(つちうるおうてむしあつし)を迎えました。梅雨明けの猛暑はほとんど風がなく、蒸し暑い日が続き、高温多湿の日本の夏の厳しさを毎年のことながら感じてしまいます。溽暑(じょくしょ)は湿気が多く、蒸すような夏の暑さを意味しており、不快指数が高い状況といえるでしょう。ちなみに不快指数は、0.81×温度+0.01×湿度×(0.99×温度-14.3)+46.3で算出され、70を超えると一部の人が不快に感じはじめ、75を超えると半数以上の人が不快に感じ、80を超えるとほとんどの人が不快に感じるとされています。
こちらは不快な暑さを吹き飛ばしてくれるかもしれません。現在、全国各地で花火大会が開催されていますが、おそらく日本で最も有名な花火大会である隅田川花火大会は、江戸時代に8代将軍の徳川吉宗が打ち上げた、両国川開きの花火を起源としているそうです。そして、この両国の川開きも、江戸時代の大飢饉による餓死者やコレラ感染症による大勢の犠牲者らを弔い、また、病魔の悪霊退散を目的に、徳川吉宗によって1733年にはじまった行事とされています。
昔の人は暦にとても厳格であり、例えば、隅田川の川遊びは旧暦5月28日〜8月までと決まっていました。その最初の日である5月28日を川開きとし、川開きの日に船宿や料理屋の景気づけと宣伝を兼ねて花火大会を催すようになったのが、両国の花火のはじまりで、その火つけ役は、花火師の鍵屋弥兵衛の献上花火だったそうです。伝承によれば、1732年、江戸では大飢饉とコレラの大流行で、90万人にともいわれる多数の死者を出しています。幕府は死者の慰霊と悪疫退散をかねて、両国川(現在の隅田川の両国橋付近)で水神祭をおこない、また、隅田川両岸の茶屋も5月28日に川施餓鬼(死者を供養する法事)を催して、死者の供養をおこないました。翌1733年、前年の水神祭と川施餓鬼にちなみ、5月28日に初めて川開きをおこない、ついでに花火を打ち上げたものが、年中行事として今日にも伝わっています。両国の川開きは、1978年、隅田川花火大会に改称されました。
花火大会というと、弊社近くの明治神宮外苑でも毎年おこなわれており、今年は来月10日を予定しています。弊社本社が入っている14階建ての建物屋上から花火がよくみえるので、当日は管理組合から主に居住者の皆様に開放され、交流の場にもなっています。快適な居住空間を提供していくことは弊社の使命のひとつですが、物理的な側面にとどまらず、弊社でもこうした取り組みに注力していくつもりです。