2025.09.01社員ブログ

防災・・・・

 本日もアイボンドブログをご覧いただきまして誠に有り難うございます。

 9月1日は防災の日。102年前に関東大震災が発生した日であるとともに、暦のうえでは二百十日にあたり、台風シーズンを迎える時期でもあります。加えて、1959年9月26日の伊勢湾台風によって、戦後最大の被害(全半壊・流失家屋15万3893戸、浸水家屋36万3611戸、死者4700人、行方不明401人、傷者3万8917人)を被ったことが契機となり、地震や風水害に対する心構えを育成するため、防災の日が創設されました。災害対策基本法では、防災を、「災害を未然に防止し、災害が発生した場合における被害の拡大を防ぎ、及び災害の復旧を図ること」と定義しています。

 21年前の9月1日には、長野県と群馬県にまたがる浅間山で噴火が起こりました。火口の南、約8kmの軽井沢測候所に設置している高感度監視カメラでは、噴煙は雲のため不明であったものの、爆発の瞬間、雲を通して明るくみえる現象が確認され、その後、赤熱した噴石が火口から2km程度まで飛散するのが観測されています。また、当時、上空では南西の風が吹いており、北東の山腹から山麓にかけて、火山れきや火山灰が降っていたことが確認されました。火山灰は北東約250kmの福島県相馬市まで到達しています。火山灰は降り積もる量に応じて人々の生活に様々な影響を及ぼすため、気象庁では2008年3月から、全国で降灰予報の提供を開始しました。2015年3月からは、噴火後にどの領域にどれだけの量の火山灰が降るのかについても、情報を提供しています。

 広域にわたって火山灰が降り積もった事例として、1707年の富士山の噴火(宝永噴火)をあげることができます。当時の史料によると、1707年12月16日の午前10時頃に発生し、1708年1月1日未明の噴火停止まで、16日間に及びました。富士山の南東斜面で発生し、その噴煙高度は10数km上空まで到達しています。火口から10km離れた静岡県駿東郡小山町で300cm、50km離れた神奈川県伊勢原市で30cm、120km離れた千葉県市原市で8cmと、関東広域で火山灰が降り積もりました。宝永噴火によって、江戸が暗闇に包まれたことや火山灰が降ったという文献が残っており、気象庁の有識者検討会においても、同様の噴火が富士山で再び発生した場合、東京が数時間で暗闇に包まれる可能性があることが指摘されています。

 さて、40代半ばで関東大震災を経験した物理学者の寺田寅彦が、雑誌「経済往来」(1934年11月号)のなかで次のように述べています。
「文明が進むに従って人間は次第に自然を征服しようとする野心を生じた。そうして、重力に逆らい、風圧水力に抗するようないろいろの造営物を作った。そうしてあっぱれ自然の暴威を封じ込めたつもりになっていると、どうかした拍子に檻を破った猛獣の大群のように、自然があばれ出して高楼を倒壊せしめ堤防を崩壊させて人命を危うくし財産を滅ぼす。その災禍を起こさせたもとの起こりは天然に反抗する人間の細工であると言っても不当ではないはずである。災害の運動エネルギーとなるべき位置エネルギーを蓄積させ、いやが上にも災害を大きくするように努力しているものはたれあろう文明人そのものなのである。」「ここで一つ考えなければならないことで、しかもいつも忘れられがちな重大な要項がある。それは、文明が進めば進むほど天然の暴威による災害がその劇烈の度を増すという事実である。」

 甚大な被害が発生した前回の南海トラフ地震(1944年の昭和東南海地震、1946年の昭和南海地震)から約80年が経過し、次の南海トラフ地震発生の切迫性が高い状態になっているなど、何らかの大災害が今日明日に起こったとしても不思議ではありません。防災の日、弊社でも日ごろからの備えについて、あらためて意識を高めて参ります。

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